僕の理念について。コドモノカンドの感度。

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こんにちは。高木です。

 

「コドモノカンド」なんてわけわかんないブログを書いてます。
「文章力」「コピーライティング力」を身につけるためのブログです。

 

「とりあえず誰だよ?」ってなりそうなので、
ここではがっつり自己紹介をさせてください。

 

「やばい。。この人たち、ほんとに話がつまらない…」 

 

浪人生活を過ごし、晴れて入学できた大学。ようやくなれた大学生。
大学生の講義ともなれば受験勉強とは違う。
講義はマニアックかもしれないけど、
きっとおもしろい講義を受けられるんだろう。

 

そう思ってました。
そんなハチミツよりも甘い期待を持ち、
はじめての大学の講義を受けました。

 

そしてその期待は、
ものの見事に裏切られることになります。

 

「…この人らほんとに教える気があんのか??」 

 

大学で講義を選ぶとき、ある程度は興味のあるものを選びます。
少なくとも僕はそういうものだと思ってました。

 

しかし僕が感じたささいな興味なんて
まるで初めからなかったかのように、
見事に打ち砕いてくれるほどの破壊力を持った
つまらない講義だったのを覚えています

 

歴史は繰り返すなんていわれます。

 

きっといつの時代のどこの大学の講義も
きっとこんな感じで、
ただただ単位をとるだけのものと成り下がり、

 

教授側も教える気も何もなく、
学生は講義中にはケータイをいじり、
ただただ時間を無駄に浪費する時間と
化してしまっていたのでしょう。

 

よくテレビで見かけるような、
学生が殺到するような講義はきっと幻かなにかで、
それはまるで砂漠に現れるオアシスくらい、
お目にかかることのできないものなのでしょう。

 

そんな時に必ず僕は
ある人たちのことを思い出します。

 

「予備校の先生の方がおもしろかったなぁ」

「予備校の先生のようなおもしろくわかりやすい教え方って

 大学の先生でできる人はいないもんなのかなぁ」

 

いくら難しい内容でも、その話し方がおもしろければ、
もっと多くの学生が興味をもって勉強できるはずだし、
興味を持って講義を受けられれば、
その学生の世界が広がっていくはず なのに…。

 

そして、

 

「自分が人前で話すときはこうはなりたくない」

「自分の話を聞いてくれる人のために、

 せめてわかりやすくおもしろい話ができるようになりたい。

 そんな技術を身につけたい。」

 

いつしか自然とそんなことばかり考えるようになっていました。

 

:ファッションを素材で語り、なぜ似合うかを歴史で語る

 

そんなときにある一人の男性と出会います。
彼は僕がふいに入ったとあるアパレルショップの店員さんでした。

 

彼はいわゆるアパレルショップの店員さんらしく、
少しクセのある着こなしをしつつも、
非常にきれいな顔立ちと端正なたたずまい。
その顔面は「玉木宏」。超イケメンです。

 

そして何より他の店員さんにはない
親しみを持てる距離感で、
まるでお兄さんのように接してくれたのです。

 

彼は、似合いますよ、とか、いまこれが流行ってますよ、とか、
そんな決まり文句はいっさい言いませんでした。
少なくとも積極的な売込みをかけられたことは
ほぼありません。

 

そのかわりに、その洋服を歴史や生地の視点、
国の文化や色彩の視点など、その服の魅力を
ありとあらゆる方向から語ってくれ、

 

なんでこの服が僕に似合うのか、
反対に似合わないから辞めておいたほうがいいのか、
いつも丁寧に教えてくれました。

 

そしてそこにはいつも「根拠」がありました。
そこにはいつも「未来の提示」がありました。

 

試着させておいて「…似合わないな、やめとこう。」
なんてドMプレイも一度や二度ではありません笑

 

アパレルショップのノルマはけっこう厳しいと聞いていたのですが、
彼はなんでもかんでも売ろうとせず、
いいものだけをしっかり売ろうというスタンスでした。

 

僕がいいなぁ、と思った洋服でも、
似合わないと思ったら即座に似合わないと言いますし、
その反対に僕が躊躇していたとしても、
彼が似合うと確信しているものであれば積極的にすすめてくれ、
新しい世界をみせてくれました。

 

ていうか、お客に「それ似合わないと思うよ」って
フツーに言っちゃう店員さんって笑

 

でも、本当にいいと思うものを、
お客さんにとって本当に似合うものをすすめたい。
ファッションについていろんなことを知ってもらって、
お客さん自身で本当にいいと思うものを選べるようになってほしい。

 

そんな想いを感じ取ることができたからこそ、
僕はどんどん彼の話に引き込まれていきました。

 

そんな彼に接客してもらいたいっていうお客さんはたくさんいましたし、
ほとんど売り込みをしなくても彼の売り上げは
店内トップクラスだったのだと思います。

 

:はじまりはいつも小学生の頃から

 

その店員さんとの出会いは僕にとって非常に大きな出会いでした。

 

ファッションのことについて詳しくなれたというだけでなく、
どうやったら人を惹きつける話し方ができるのか、
どうやったら相手が興味を持ってくれるような話し方ができるのか、
そのたくさんのヒントを彼は教えてくれました。

 

そもそも僕がどうしてここまで、
伝える、おもしろく話す、惹きつけるように話す、
ということにこだわるようになったのか。

 

それは僕の子供時代にさかのぼります。

 

小学校時代:暗黒時代の始まりと人の顔色を伺う能力の獲得

 

僕は小さい頃から周りの大人の顔色を伺って生きているような子供でした。

 

僕が小学生の頃、いわゆるお受験がブームになってきた頃で、
その波にのるようなカタチで小学校5年生から
受験予備校に行かされる事になりました。

 

当然それなりの大きな期待が
僕の小さな背中にのしかかってくるわけなのですが、
うちの両親は比較的顔に出やすいタイプで、
僕の成績が悪いと本当にがっかりした顔をしながらため息をつくのです。

 

90点のテストがあれば、あと足りない10点をせめられ、
100点のテストと60点のテストがあれば、
60点のテストを怒られる。

 

予備校の先生に試験の結果を褒められたときのこと。

 

本当にうれしくて、先生に褒められたことを両親に伝えたとき、
「こんな成績でなに喜んでるんや!?あいつ(先生)は何言ってるんや!!」と、
僕の成績だけでなく、ほめてくれた先生のことまで否定されたのです。

 

自分のうれしかったことを否定され、
自分が大好きだった先生まで否定される。
子供心にこれは正直、本当にきつかったです。。。

 

そういう環境で育ったせいか、
相手の顔色を伺ってしまうような習慣が
自然と身についてしまいました。

 

「人の顔色と空気感がわかってしまう」

 

成績が悪ければ怒られる、失敗すれば笑われる。

 

そんな環境にいると、相手の顔を一目見れば
その人がどんなことを考えているか
自然とわかるようになってくるものです。

 

気付けば、いま相手がいまどんなことを考えているのか、
満足しているのか、何かに不満を 持っているのか、
怒っているのか、笑っているのか、悲しんでいるのか、喜んでいるのか…
そんなことがなんとなくわかるようになっていました。

 

望んで得た才能ではないですが、
相手の表情をみるだけで、
相手の雰囲気を感じ取れるようになっていました。

 

だからこそ当時は、
両親の顔色が悲しんでいるのを見たくないし、
両親の顔色が沈んでいるのなら笑顔になってほしい。
と思ってました。

 

予備校講師をしていた大学生の頃は、
成績が伸びなくて暗い顔をしている生徒には
自分で問題が解けるようになって、
自信を持って前を向いて笑顔になってほしい
と思ってました。

 

歯科医師になってからも、
患者へ想いがあるのに伝わらない。
そんな歯科医師の想いが少しでも患者に伝わってほしいし、
その患者にはその想いを感じてほしいと思っています。

 

素朴に、
自分がいいと思うものを、
自分の大切な人にも伝わってほしい。
そしてそのために必要な伝える力を身につけたい。
そう思って、日々勉強と活動をしています。

 

中学校時代~高校時代:自分の能力の限界を知る。

 

暗黒の受験時代を乗り越え、無事中高一貫の学校に入学します。
ここで僕は大きな勘違いをしてしまいます。

 

僕は努力を重ね受験を乗り越えてこの学校に入ったんだ!
この学校でも僕は成績もトップクラスに違いない!
そう勘違いしてました。
…いやぁ、違ったんですよ。

 

そもそも、周りにいる連中は、同じ受験を乗り越えて、
同じ中学に入ってた奴どうしのヨーイドンなわけですから、
小学校時代のアドバンテージとかあるわけないんですよね。

 

しかも残念なことに、
どれだけ勉強しても成績上位には食い込めませんでしたね。

 

結構努力したと思います。
文武両道を目指して、
勉強も部活もそれなりに頑張っていました。

 

それなのに、いつも余裕を残した表情のまま勉強をし、
定期テストでは高得点をたたき出す。
まるで鼻歌を歌うかのように軽やかに、
模試でいい成績を取り続ける。

 

そんな奴らもいる一方で、どれだけ努力しても、
僕みたいにほどほどの成績しか取れない奴もいる。

 

上には上がいる。

 

どうあがいてもかなわない奴がいるってこと。
こればかりはどうしようもない。
それを身をもってまなびました。

 

このままいくと本当にダメになると思ったし、
なんとか自分の武器を身につけて
戦える武器を身につけないといけない。

 

そんなことを思うようになりました。

 

高校時代~浪人時代:化学の恩師との奇跡の出会い

 

進学校だったこともあり、高校生にもなると学校全体が受験を意識し始めます。
そんな中、僕は理系の進学クラスでありながら、
化学の全国偏差値が25という
世紀末的成績をたたき出していました。

 

偏差値25て。。。

 

というかなんで理系選んだんですか?
みたいな感じですよね。今から思えば。

 

化学の勉強をしていなかったわけじゃありません。
むしろやばいと思って、
化学の勉強ばかりしていました。

 

それでも成績は伸びる気配を見せてくれず、
それに引っ張られるように他教科の成績も落ちていきました。

 

もう、浪人を覚悟したどころか、
僕なんて、大学なんてどこも入れないんじゃないか。
そんな絶望を感じたのを覚えています。

 

そんな中、わらにもすがる思いで、
名古屋駅の河合塾の化学の先生の講義を受けることになります。

 

その先生は、どんな化学が苦手な生徒でも
ケロッとできるようになる神秘的な授業を行うことで有名。
と言われていた先生でした。

 

僕はこれが最後だと腹をくくり、自分にルールを課しました。

①授業開始1時間前には教室前に並び、
最前列から3列目までの席に必ず座るようにする。
②予習はできなくても復習は必ずする、
終わるまでは絶対に寝ない!
③テキストの問題はすべて解けるようにする。
間違えた問題は専用のノートに間違問題集を作る。

 

この3つのルールを決め、最後まで守り切りました。
正直、自分でもよく頑張れたと思います。

 

あの頃はわらにもすがる思いでしたので、
必死だったんでしょうね。

 

それが功を奏したのか、夏休みに受けた模試で、

化学の偏差値25→72まで大躍進したのです!!

ブラボーです!!

そして他の科目の成績も、
化学に引っ張られるように伸びていきました。

 

いままでの成績が悪すぎたため現役での合格とはなりませんでしたが、
なんとか浪人のすえ大学に合格することができました。

 

この経験は僕の世界を大きく変えてくれました。

 

「こんな自分でも大学に合格できるかもしれない…」

 

狭くて暗い部屋に閉じ込められていたところから、
外の世界の広い平原が見渡せた、
そんな開放感を感じることができました。

 

はじめて未来に希望を持つことができたのです。
そして、自分の力で自分を変化させれたことが
なによりうれしかったですね。

 

受験を通して、最もできなかった化学が、
僕がもっとも信頼できる武器になりました。

 

何か戦える武器を身につけないといけないと思っていました。
そんな自分の武器に一番苦手だった科目がなってくれるとは
思ってもみませんでした。

 

そして一つの突き抜けた武器があれば、
他のものにもいい影響を及ぼしてくれることもわかりました。

 

たった一つでもいい。
たった一つでも小さな突き抜けたものがあれば、
その人の世界を切り拓く武器になる。

 

そしてその武器は、
どんな人でも必ず一つは持っている。

 

これは、自分には何も強みなんてものはないと思ってて、
周りの友達のいいところばかりに目が向いてしまい、
自分のいいところより、
隣の人の芝生の青いところが見えてしまう。

 

そんな僕だからこそ自信をもって言える
ひとつの真実です。

 

 

それと同時に、別の想いもこみ上げてきました。

 

なんで学校の先生は予備校の先生のように
わかりやすく伝えることができないのか?
それっておかしくないか??

 

成績悪かったのは僕のせいかもしれない。
むしろ100%僕のせいだと思います。

 

だけど、僕からしたら、
苦手の生徒の化学を引き上げてくれるような先生は、
高校には一人もいませんでした。

 

だってほんとにわからなかったですからね。
何言ってるか意味不明。

 

教師の伝え方のうまさが、生徒の成績を左右するし、
それが生徒の未来に直結するってことを考えたのなら、
教え方、伝え方のところから、
心底真剣に考えないといけないんじゃないの??

 

知識を教えることは誰でもできるけど、
「できる」っていう武器を与えることができる先生は
なんでこんなにいないの??

 

そんなことを考えれば考えるほど腹が立ってきました笑

 

知識を学ぶことが「楽しい」、
わかるって「楽しい」、
できるって「楽しい」って、

 

そう生徒に感じさせることが教師の本分じゃないかって、
そういうことも考えるようになりました。

 

……こんないきさつがあり、

 

僕は伝える、ということに対して、
心の底から真剣に取り組むようになったのです。

 

:話のへたな歯科医師は、腕の悪い歯科医師よりタチが悪い

 

歯医者として仕事を始めてみると、
多くの歯医者の話の下手さ加減にびっくりします。
というか正直ひきます。自分勝手すぎて。

 

専門用語をばしばし使って言いたいことだけ言う。
患者さんがわかってくれないと患者さんのせいにする。
そして患者さんの心の中に不満ができて、クレームになったりする。

 

歯医者でも本当に真面目に勉強をして、
技術を磨くために多くのセミナーに参加して、
学会での発表も欠かさず行う。
本当に素敵な先生は 大勢いるんです。

 

それでも、話し方が下手なゆえに、相手に伝わらないがゆえに、
なぜかゆがんで解釈されてしまい、
彼らの想いが患者さんにわかってもらえない。

 

場合によっては、患者さんのために思ってやったのにも関わらず、
患者さんとしたら不満な 結果となってしまい、
場合によってはクレーマーになってしまう。

 

そうなんです。

 

最初からクレーマー気質の人は一定数いるでしょうが、
実は一部のクレーマーははじめからそうだったのではなく、
こちらの伝え方不足によってクレーマーとして
「つくりあげられて」しまった人たちなんです。

 

これって歯医者に限らず、いわゆる専門職といわれる職種の
人たちに多いんじゃないかと 思うんですよ。

 

学校や予備校の現場でも同じです。

 

どれだけ先生や講師が参考書を完全に理解し、
単語を丸暗記していたとしても、

そもそも生徒が何に悩んでいるのかがわからなければ、
何につまづいているのかわからなければ、
どれだけ熱心に講義をしても生徒に届くことはありませんし、

生徒にあった適切な方法をとらなければ
生徒の身になることは決してないんです。

 

生徒からしても、
この先生、熱意はあるんだけど何をいってるのかわからない…
となってし まいます。

 

どれだけ情熱があったとしても、
その情熱だけが空回りしてる人だと認識されてしまいます。

 

本当にもったいない。
本当にもったいないと思うんですよ。

 

相手に価値を伝えられないことで、
自分の価値も下げてしまうんです。

 

逆に言えば、相手に価値を伝え、価値を感じてもらうことができれば、
自分の価値もあがるということなんです。

 

伝えたい内容を、非常にわかりやすくおもしろく伝えれたらどうでしょう。
生徒は成績が伸び、患者は治療の大切さを理解してくれる。
そして伝え手である僕らに対する評価は自然と上がっていきます。

 

子供に伝えるのは難しくても、お母さんたちに伝えることができれば、
それは結果的に子供の未来を切り拓いていくことにつながっていくわけです。

 

これはまさに Win-win の状態です。

 

反対に、伝える力が低いのは、
それは単に価値が相手に届かないだけだから、
相手にとってデメリットはないと思ってしまいがちですが、それは違います。

 

価値が伝わらないことは、
相手の世界を広げる機会をなくしてしまっているのです。
つまり、相手の未来への可能性を閉じてしまっているのです。

 

さらにネガティブな受け止め方をされたら、
相手の心の中にはネガティブしか残りません。

 

つまりこれはお互いにLose-Loseの関係といえるでしょう。

 

結局、伝える、という行為の結果として、
Win-win か Lose-loseしかないと思うんですね。
どちらかが得してどちらかが損するというカタチはないんです。

 

だとしたら、僕らは少しでも伝え方を身につけないといけない。
少しでも伝える力を高められるよう、
常に「伝える」ということを意識していないといけない。

 

そう思うんです。

 

:コピーライティングとの出会い。伝えるための基本原理。

 

「伝える力を高めるにはどうしたらいいのか??」

 

常にそんなことを考えながら、
講義を受け、仕事をしていました。

 

そんななか、歯科医師になりたての頃はお給料が少なく、
好きな本を買ったり、好きなセミナーに出たりする余裕がなくて、
なんとか副業でもしてお金の足しを作りたいと思っていました。
そしてネットで副業の方法を検索していたところ、
インターネットビジネスのことを知ります。

 

インターネットビジネスには、アフィリエイトや情報商材の販売、
せどりやオークションなど、いろんな方法があり。
僕は家にいながらできるアフィリエイト、
情報販売を軸に情報をあつめ、勉強を進めていきました。

 

特にインターネットビジネスにおいて、何よりも重要なのは、
「文章を書くスキル」いわゆるコピーライティングの力でした。

 

僕はそもそも文章を書くことが嫌いではなく、むしろ好きです。

 

 

 

最近では「伝え方が9割」なんていう本が売れているようですし、
数多くの「伝え方」に関する本がずらりと並んでいます。

 

しかし、それは表面的なテクニック論であることが多く、
その基本原理まで落とし込んで説明してくれているものはほとんどありませんでした。

 

もちろんテクニックは重要だし、即効性があります。
でもその原理を知らないと応用が利きません。
だから原理を学ぶんです。
原理がわかるまで学び続けるんです。

 

仕事もプライベートも、アウトプットのカタチがすべてです。
アウトプットのカタチをどうデザインするか。
どれだけ崇高な想いがあったとしても、それができなければないのと同じ。

 

だからこそ、相手にどう伝わっているのか、
相手がどう感じているのか、
どうやったらより よく伝えることができるのか、
それを必死に考え、いろいろなことを勉強してきました。

 

コピーライティング、心理学、生理学、デザイン思考、社会学、哲学など、、、
いろいろな分野の勉強をしてきました。

 

最近では、「伝え方が9割」なんていう本が売れていたりして、
本屋に行けば数多くのそれ系の本が売られています。
もちろん、それらもたくさん読み込みました。

 

でもそのどれを読んでもいまいち納得できるものはありませんでした。

 

知識はついていくけど、どこか腑に落ちない、
全体のつながりが満たせない…そんな状態のままで、
とにかくいろんな本を読み漁っていました。

 

そこで一つ気がついたことがあります。

 

それは、心理学は、心がどう動くか、どう反応するか、
については説明してくれていても、
心そのものについては答えてくれていない、
ということです。

 

人を動かすには、「心」を動かせばいい。
じゃあ「心」ってなんなんだろう??

 

何かを学ぶとき、それについて定義することはできません。
心も同じで、心について学ぼうとするとき、
それ以外について学ばないといけないんです。

 

伝える、ということは相手の心を動かすということ。
でも心ってなんだ??伝えるってなんだろう??

 

そんな曖昧モコモコしたものをずっと考えてきました。

 

そんな中、ちょっとしたことからヒントを見つけます。
そのヒントは普段の仕事の中に隠れていたのです。

 

:子供は小さな大人じゃない。でも…

 

ぼくは歯科医師として数多くの子供と関わってきました。

 

その年齢層は幅広く、生まれたての赤ん坊、魔の2歳児、
素直で無邪気な幼稚園児、少しませてくる小学校低学年、
急に大人びてくる高学年、そして思春期真っ只中の中学生や高校生、、

 

歯科医師になってまだ5年程度ですが、
延べ7000~8000人程度の子供たちと接してきました。

 

その中でわかってきたことがあります。

 

それは、年齢に応じてモノの見方や理解の仕方が異なり、
その理解の仕方には一定の法則がある、ということです。

 

「子供は大人のミニチュアじゃない」

 

これは子供相手に診療するとき、心構えとしてよく言われることです。
しかし、大人は大きくなった子供だといえるのです。

 

もともと僕らの中には、子供の頃持っていた子供心、好奇心があります。
その子供心や好奇心こそが、伝える、伝わる、
ということに大きな役割を果たしているのです。

 

僕らが子供の頃、新しいものを見たとき、
楽しい経験をしたとき、おもしろい話を聞いたとき、
夢中になってのめりこんだんじゃないでしょうか。

 

大人になったいまでも、何かを知ると楽しいですよね。
新しいことができるようになると楽 しいですよね。

 

それはすべて、僕らの中にいる「コドモ」たちのしわざです。
僕らの大人の中の子供が目を覚ましている状態です。

 

僕らは社会の常識や、
たくさんの「○○はこういうものだ」に囲まれすぎてしまい、
頭の中が固く凝り固まってしまっています。

 

固まってしまった脳みそは柔軟性を失い、
新しいことを 知ったときの感動もなくなってしまいます。

 

もう一回、僕らの頭の中の子供を起こしてあげるのです。
人を動かすのに大切なのことは、
僕らオトナの中に隠れているコドモを呼び起こすことなんです。

 

:「伝える」ってけっきょくどういうことなのか??

 

伝える、ということは、
僕らの頭の中で眠っている子供を起こしてあげること。

 

そう僕は考えています。

 

では、僕らの頭の中の子供は、
どうやったら目を覚ましてくれるでしょう??

 

そもそも、子供が話を聞く人って、
①すごい人(経験も知識ある)
②話がおもしろい人(経験が豊富)
③普通の話をおもしろくしてくれる人(知識が豊富)

この3パターンじゃないのかなと思います。

 

大人とか子供とか関係なく、
芸能人とかの話って聞き入ってしまいますよね。
あれとおんなじです。

 

極論すると、すごい人になれば無条件で人は話を聞いてくれるんです。
だってその人は、自分の知らない世界を知っていて、
自分の知らない知識や技術を持っていて、
その人らしい人生を切り拓いてきたのですから。

 

そしてそういう人を僕らは尊敬するようにできています。
だったら、ぼくらはそういうすごい人を目指さないといけません。

 

でもすごい人は一朝一夕でなれるほど簡単なものでもない。
すごい人にすぐなれる人はすごいですけど、
そんな簡単になれるものならたいしてすごくはないはずですから。

 

だからこそ、僕が提案しているのは、
③の普通の話をおもしろくできる人になってい こう、
ということです。

 

 

:普通のことをおもしろく

 

僕らは何か新しいことをゼロから生み出すのって、
なかなかできませんよね。

 

Apple のように世界を席巻するようなアイディアはなかなか出せないし、
出せたとしても それをカタチにする技術はありません。

 

それは0から1を生み出すとか、
1から10までしかない中で、
まったく新しい11を生み 出すのと同じ。

 

なかなかしんどい作業なわけです。

 

でも僕が提案しているのはそれとは違い、
1から10までしかない中で、
9と10の間にあ る無限の数字に気付かせてあげることです。

 

ものの見方を変える、といってもいいでしょう。
これは簡単に言えば、自分なりの視点、切り口を持つということです。

 

100人いれば同じものを見ても感じ方は人それぞれ。
ということは同じものを同じように見ている人はいないということです。

 

同じものを同じようにしか見ることができないのは絶望です。
だってそこにはもう可能性はないわけですから。
可能性がない=発展していかない=望みがない=絶望なわけです。

 

だからこそまずは自分なりの視点を持つ、
ということが必要になってきます。

 

医者なら医学的な視点、整体師なら人体力学的な視点、
僕であれば子供の視点、など、
その人それぞれその人らしい視点や切り口があるはずです。

 

それを元に自分の考えを作り上げていく。
それが普通のことをおもしろくする第一歩です。

 

こんな話をすると決まって出てくるのが、
「自分には特技や専門性などないし、
人がおもし ろがってくれるような切り口なんてありません」
という声です。

 

たしかに今までこんなことを考えてこなかったのであれば、
なかなか難しく考えてしまうかもしれません。

 

そしてそれは僕ら凡人が身につけることのできる、他人と自分を差別化できる数少ない能力なんです。

 

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